鉄人からのメッセージNo9<先輩のサクセスストーリー>
鉄人です。前回に続いて今回は保護者会でお話をさせていただいた、先輩のサクセスストーリーをお伝えします。
今回は早稲田サクセスストーリーです。都立からでも現役合格できるという話です。
2010年度合格者達の進路指導例
I君、Wさん、A君は、今年度の合格者の内の成功例です。3人共、志学ゼミの進路指導コーチィングに従い、段階的に大学受験を重ね、志望大学合格到りました。
I君の例
中学生から志学ゼミに通う。高校2年次は特に英語のセンター模試得点アップに力を注いだため、常に1位を争っていた。英語のセンスが光り、その力はリスニングにも発揮された。しかし、目標がなかなか決まらず、また自分はこんなものだと過小評価する癖が気に成っていた。北園からではそんないいところに行けるいわけがないという発言よく出ていた。どうして学校で決めるんだ。僕なんかボコボコ高校だぜ。とよく言ったものでした。しかしWさん入塾後、大いに刺激を受け自分も早稲田を受けようかと決意。ライバルは必要だ。
3年時、「後は国語(特に古典)と日本史だね」とコーチングを受ける。センターでは外国語に興味があるため、獨協大学外国語学部出願を決めるが、東洋大学へも出願するようにアドバイスされる。また、「上手く行けば」という期待を含めて中央大学総合政策への出願も勧められる。これらは全て成功。勢いづいて一般でも明治大学、早稲田大学合格を決める。
Wさんの例
高校3年生になって、初めて志学ゼミの門を叩く。4月のセンター模試の英語は散々な結果で、本人いわく「英語は眠くなっちゃうんですよ」。200点満点でなんと38点からスタート。Wさんは敬語がちゃんと使えました。私はこの子、国語がやれるなと思ったのが最初の印象でしたね。どこに行きたいの?という問いににこにこしながら「早稲田の文学部」に行きますときっぱり。有言実行。
入塾後、4ヶ月目で100点を突破、そこから周りを焦らすほどの伸びを示す。周りから小石川だからできるだなどともいわれるが、先輩が早稲田に言っているから共に学びたいという意識は誰よりも高かったことは事実。
国語力が高かったため、「英語は、君が持っている国語力までは高まるよ」とコーチング。塾は皆勤(定期テスト中も)で、授業後はよく質問。最初は、英語6割目標だったのが、冬には9割目標に。「早稲田大学以外には興味がない」ど、負けん気は強かった。しかし進路のアドバイスには素直に応じ、センターでは東洋大学、成城大学に出願し、成功。日本史97点。満点がとれていたと悔しがる。一般では統一試験で明治大学に合格した後、志望の早稲田大学に挑戦し、文化構想に合格した後、見事、第一志望の文学部に合格。
A君の例
中学生から志学ゼミに通う。1、2年時はサッカー部の練習で、あまり勉強には熱が入っていなかった。ただ、塾通いをしていたため、基礎学力は定着していた。学校の内申が良かったため、当初は指定校、公募推薦で行くのかと思っていた。部活をしていたので勉強量が不安、一般入試では厳しいと言わざるを得ない状況。
とはいえ、2年生の1月に受けたセンター本番と同じ内容の模試は70点ほどで、ガックリ。そこで、3年になり、心機一転。英単語、文法のまとめをキッチリとやり出し、夏にはWさんをも「アッ」と言わせるほどの熟語、語法の暗記力を見せ付ける。その結果、英語力は順調にアップし、8割前後は見込める実力がつく。
とにかく、日本史は理解して、覚えぬくまで黙々と繰り返しを行っていた。部活で培った反復、根性が生きていたのかもしれない。また御両親のアドバイスに素直に耳を傾けることが出来た。しかし、英文法と解釈が結びつかず、センターまでかと思えた。しかし、指定校を蹴ってまで早稲田に行きたいとの発言が出る。
ただ、国語が最後まで足を引っ張ったため、冬期講習では塾長の国語特訓に参加。かいあって、2年の3月の模試で64点、3年の1月でさえ124点が自己最高の155点をマーク。なんと英語の得点を超す。それを見込んで出願するようアドバイスされた東洋大、明治学院大に合格。また、国語で失敗した時のことも考え、受けるように勧められた獨協大は、もちろん合格。その後の一般でも、法政大学は受験した二学部共合格、最後に挑戦した早稲田も成功させ、大健闘。「スゴイ」と思っていた1番上の兄と同じ大学に行けることになった。本年度、文京高校で唯一の早稲田合格。
3人の合格に共通するのは、コーチングやアドバイスに耳を傾け、プロ(塾長)の最終決定を受け入れ、最後まで自分の学力および進度を講師と話し合ったところにあります。もちろん、本人自身の努力は、その大前提です。
鉄人
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今回は早稲田サクセスストーリーです。都立からでも現役合格できるという話です。
2010年度合格者達の進路指導例
I君、Wさん、A君は、今年度の合格者の内の成功例です。3人共、志学ゼミの進路指導コーチィングに従い、段階的に大学受験を重ね、志望大学合格到りました。
I君の例
中学生から志学ゼミに通う。高校2年次は特に英語のセンター模試得点アップに力を注いだため、常に1位を争っていた。英語のセンスが光り、その力はリスニングにも発揮された。しかし、目標がなかなか決まらず、また自分はこんなものだと過小評価する癖が気に成っていた。北園からではそんないいところに行けるいわけがないという発言よく出ていた。どうして学校で決めるんだ。僕なんかボコボコ高校だぜ。とよく言ったものでした。しかしWさん入塾後、大いに刺激を受け自分も早稲田を受けようかと決意。ライバルは必要だ。
3年時、「後は国語(特に古典)と日本史だね」とコーチングを受ける。センターでは外国語に興味があるため、獨協大学外国語学部出願を決めるが、東洋大学へも出願するようにアドバイスされる。また、「上手く行けば」という期待を含めて中央大学総合政策への出願も勧められる。これらは全て成功。勢いづいて一般でも明治大学、早稲田大学合格を決める。
Wさんの例
高校3年生になって、初めて志学ゼミの門を叩く。4月のセンター模試の英語は散々な結果で、本人いわく「英語は眠くなっちゃうんですよ」。200点満点でなんと38点からスタート。Wさんは敬語がちゃんと使えました。私はこの子、国語がやれるなと思ったのが最初の印象でしたね。どこに行きたいの?という問いににこにこしながら「早稲田の文学部」に行きますときっぱり。有言実行。
入塾後、4ヶ月目で100点を突破、そこから周りを焦らすほどの伸びを示す。周りから小石川だからできるだなどともいわれるが、先輩が早稲田に言っているから共に学びたいという意識は誰よりも高かったことは事実。
国語力が高かったため、「英語は、君が持っている国語力までは高まるよ」とコーチング。塾は皆勤(定期テスト中も)で、授業後はよく質問。最初は、英語6割目標だったのが、冬には9割目標に。「早稲田大学以外には興味がない」ど、負けん気は強かった。しかし進路のアドバイスには素直に応じ、センターでは東洋大学、成城大学に出願し、成功。日本史97点。満点がとれていたと悔しがる。一般では統一試験で明治大学に合格した後、志望の早稲田大学に挑戦し、文化構想に合格した後、見事、第一志望の文学部に合格。
A君の例
中学生から志学ゼミに通う。1、2年時はサッカー部の練習で、あまり勉強には熱が入っていなかった。ただ、塾通いをしていたため、基礎学力は定着していた。学校の内申が良かったため、当初は指定校、公募推薦で行くのかと思っていた。部活をしていたので勉強量が不安、一般入試では厳しいと言わざるを得ない状況。
とはいえ、2年生の1月に受けたセンター本番と同じ内容の模試は70点ほどで、ガックリ。そこで、3年になり、心機一転。英単語、文法のまとめをキッチリとやり出し、夏にはWさんをも「アッ」と言わせるほどの熟語、語法の暗記力を見せ付ける。その結果、英語力は順調にアップし、8割前後は見込める実力がつく。
とにかく、日本史は理解して、覚えぬくまで黙々と繰り返しを行っていた。部活で培った反復、根性が生きていたのかもしれない。また御両親のアドバイスに素直に耳を傾けることが出来た。しかし、英文法と解釈が結びつかず、センターまでかと思えた。しかし、指定校を蹴ってまで早稲田に行きたいとの発言が出る。
ただ、国語が最後まで足を引っ張ったため、冬期講習では塾長の国語特訓に参加。かいあって、2年の3月の模試で64点、3年の1月でさえ124点が自己最高の155点をマーク。なんと英語の得点を超す。それを見込んで出願するようアドバイスされた東洋大、明治学院大に合格。また、国語で失敗した時のことも考え、受けるように勧められた獨協大は、もちろん合格。その後の一般でも、法政大学は受験した二学部共合格、最後に挑戦した早稲田も成功させ、大健闘。「スゴイ」と思っていた1番上の兄と同じ大学に行けることになった。本年度、文京高校で唯一の早稲田合格。
3人の合格に共通するのは、コーチングやアドバイスに耳を傾け、プロ(塾長)の最終決定を受け入れ、最後まで自分の学力および進度を講師と話し合ったところにあります。もちろん、本人自身の努力は、その大前提です。
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